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Topic. 27

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道なき道を歩み、
感染症コンサルタントにたどり着いた

猛威を振るった新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、
感染対策の重要性をよりいっそう浮き彫りにしました。
また、特に感染拡大当初は情報が錯綜する中で、
何が大切で、何がそうでないのか見極めることも必要でした。

感染症看護の臨床を経て、現在はフリーの感染症コンサルタントである堀成美さんは、
まさにそうした状況で医療現場のために動いてきた一人。
ここでは堀さんのキャリアを振り返るとともに、
コロナ禍での奮闘の様子、そして看護学生へのメッセージを語っていただきます。

タイの留学経験からエイズ看護の道へ

――堀さんは、一般の大学を卒業してから看護の道に入ったということですが、どんな経緯だったのでしょうか。

感染症コンサルタント 堀 成美さん

高校に進学するタイミングでは、当初は看護師養成コースがある学校を選ぼうと思っていました。ただ、母親からの「国家資格があればできるというほど簡単な仕事ではない。もっと社会や人間について学んでからの方がいいのではないか」という言葉が胸に刺さり、確かに本当に看護師になりたければ後からでもキャリアチェンジできると思い、普通科に進学することにしました。母は専門的な知識などはありませんが、地域で一人暮らしの高齢者の日常生活や病気の時の支援をずっとしています。だから説得力がありました。高校時代に「街角の正義」のような方面に興味を引かれ、大学は法学部を選んだのですが、そこのゼミで医療過誤について学び、再び医療のことを考えるようになりました。例えば弁護士になって「問題が起こってから介入する」よりも、医療従事者になって「そもそも問題を起こさない」ほうが社会のためではないかと。

それでも卒業後の進路には迷いに迷い、以前から希望があったタイへ留学し、社会科学系の勉強をすることにしました。私は大学在学中の20歳で結婚していたのですが、「離婚届けを出したいなら出して」と言い放ち、反対する人が多い中、海外へ飛び出したのです。結論としては行ってよかった。現地ではHIV/AIDSが大きな社会問題になっていて、ここで学んだことが私の原点になったからです。私が本気でやるべきことは法律の仕事ではなく医療だと確信できたので、留学を途中で切り上げて帰ってくることにしました。

日本に戻って看護短大を卒業後、感染症看護、特にエイズのことに携わるためにはどうしたらいいか模索したのですが、当時はすぐには道が見えてきませんでした。また、看護短大在学中に子どもを産んでいたので、育児のことも考えて感染症看護にこだわらず自宅に近い病院に入職しました。早く一通りのことを勉強したり経験したかったので「一番大変な病棟に入れてください」と申し出ましたけどね。

しばらくして、「エイズに興味がある(変わった)看護師がいる」ということで、エイズ診療に力を入れている都立駒込病院からお誘いをもらい、非常勤として移ることにしました。非常勤であれば異動もなく、感染症外来に張り付くことができるからです。

――都立駒込病院の感染症外来では、どんな出会いがありましたか。

都立駒込病院の感染症外来でエイズの患者さんと継続的に関わっていると、普通の病棟や診察室では聞けないような患者さんの胸の内を伺うことができました。ある患者さんから、「堀さん、余力があればエイズの予防に取り組んだほうがいいよ。ほとんどの人は、コンドームで予防できることは知っている。けれど、感染してしまう。結局、一過性のキャンペーンだけでは、後に続く患者さんを食い止められないと思うから」と言われたことは印象に残っています。

写真はイメージです。

また、当時都立駒込病院感染症科にいらした、私が尊敬する感染症医の味澤篤先生も、次のようにおっしゃっていました。「堀さんはエイズのことに熱心だけれど、病院は感染した人を待つ場所だから。いわば川下で流れてきた患者さんだけを見て、一生懸命に治療・ケアしている。本当は川上でやれる人が必要なのだけどね」。私がそこから、じゃあ、予防を専門的な仕事としてどこでやれるんだろう、と思って見渡したけれど見つからなかった。ちょっと調べたら外国にはあるし、医師だけでなく看護師も活躍している。訓練を受けたら同じようなことを展開できるのではないかと希望をもって勉強をはじめました。

ここでの仕事は楽しかったし、勉強にもなりましたが、それこそ「川上」をめざして身の振り方を模索すべきなのか悩みました。そうしたとき、新たな示唆を与えてくださったのがアメリカ人医師のジョン・コバヤシ先生。「アメリカにはフィールドエピデミオロジスト(疫学者)という職種があって、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)で養成をしているけれど、アメリカのCDCのプログラムは残念ながら日本からは原則として採用していない。ただし、日本の国立感染症研究所にも実地疫学専門家養成コース(field epidemiology training program;FETP)というよく似たものがある」と聞いて心が躍りました。感染症と疫学の知識を駆使して感染予防のコンサルテーションをしたり、感染症危機管理事例を迅速に探知して適切な措置を取ったりする専門家を養成するプログラム(2年間)で、私がやりたいことにぴったりだったのです。

ただ一つ問題があって、当時のFETPの募集要項には看護師を想定する文字はありませんでした。これは残念でしたね。診療するわけではないのだから、医師であろうがなかろうが関係ないだろうと。それで問い合わせたところ、「応募してもいい」と言われたので応募したら、なんと合格したのです。私が看護師としては第1号なんですよ。挑戦する機会を与えていただき感謝しています。

――プログラム修了後も、堀さんのキャリアは波瀾万丈だったそうですね。

終わったら終わったで「さあ、どうしよう…」と思っていたのですが、聖路加看護大学(現・聖路加国際大学)で教員におさまることになりました。大学の教員は1mmも考えていなかった選択肢なので、「想定外」です。このことについては聖路加の井部俊子さんとの出会いが大きかったですね。元々井部さんが、従来の看護師像にとらわれずに、看護をよくするための柔軟な発想や取り組みを大切にしていたこともあって、今までにない看護師の活動の可能性について理解をしていただきました。しかし、ここでのミッションとして学内に感染管理認定看護師養成コースを作ろうと動いていたものの、諸々の事情で最終的にこのコースは新設されないことになったのを一区切りとして、別の道を探ることにしました。

その後、私が大学を辞めたことを聞きつけた大曲貴夫先生と当時の総長が、国立国際医療研究センターに誘ってくれました。通常だと、看護師が採用されるときは看護部所属になるところ、私としては看護部に入って働くのではなく、より大きな視点から感染症のことをやりたかった。そのことを伝えると、大曲先生と当時の総長が「それでいい」と言ってくれ、新たに「感染症対策専門職」というポストを作ってくれたのです。院内にはすでに感染管理を専門とする看護師が複数いたので、私は院内の感染管理そのものにはコミットはせず、院外つまり、自治体や地域の医療機関、国際機関との連携、市民や報道むけの情報発信・リスクコミュニケーションを担当しました。「国立国際医療研究センターの感染症対策専門職」というポジションと役割を与えられたことで、ここで手がけた仕事の数々は、間違いなく私の強みになっていると思います。

コロナ禍で求められるのは「対話型情報発信」

――お手本となる先行モデルがない中で培ってきた堀さんの感染対策に関する知識・能力を、今はどう社会に還元していこうと考えているでしょうか。

様々なやり方が考えられますが、その一つとして、会社を設立しました。業務内容を一言で言うと、アウトソーシングを受けて感染症に関するコンサルテーションを提供するということです。弁護士や税理士が会社などの顧問となって専門的業務を提供する、その感染対策版と考えてもらえばいいと思います。元の医療機関を引退した専門職や、フリーランスで活動をしたい人たちと一緒に教育活動を展開するプラットホームを作りたいと思いました。現在はキャパシティいっぱいなので宣伝も積極的な業務を拡大もしていません。法人にすることで社会での活動のしやすさや、認知のされやすさはあると感じます。個人の努力で頑張るといったことではうまくいかないこともあるので、一つのターニングポイントになりました。

すでに病院などからいろいろお話を頂いていますが、私が最もやりたいと思っているのは、感染対策の教育プログラムを対象に合わせて作成・展開すること。汎用的なマニュアルはどこにでもあるわけですが、例えば「精神科でマスクや手洗いができない患者さんを相手にする場合はどうしたらいいか」といった個別具体的なものはオンデマンドで対応するしかありません。そのときに現場に入り込んで、そこの人たちの困り事を拾い上げて、本当に役立つものを作っていく。これは私が大切にしている「対話型感染対策」の一つのやり方です。

一般の人に向けたアプローチとしては、インターネットを活用した情報発信がおもしろいと思っています。例えば、2020年4月から、日本科学未来館のサイエンスコミュニケーターの皆さんと一緒に、「ニコニコ生放送」で「わかんないよね新型コロナ~だからプロにきいてみよう~」と題した番組を40本以上も作り、視聴者の皆さんとリアルタイムでコミュニケーションを重ねてきました。これもまさに「対話型感染対策」だといえるでしょう。

参考リンク
堀 成美さんが出演したニコニコ生放送「わかんないよね新型コロナ」番組概要

この番組は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)をめぐる報道番組やワイドショーの情報発信に対するアンチテーゼという意味もあったと思います。他に複数の番組に出演することになりましたが、最初から不安を煽るつくりこみになっていました。例えば、ニューヨークやイタリアの医療現場で大混乱が起こっている映像を出してきて「2週間後は東京もこうなるのでしょうか?」と悲壮な面持ちで質問されるような。私は「それらの都市と東京では感染の状況も、それに対する措置も、何もかも事情が異なるのだから、そうなるとは言えません」というような回答をしました。必要なのは、一方的な煽りではなくて、疑問や不安があってもいいので、確かめながらそれを解決していく対話型のコミュニケーションなのではないでしょうか。

感染看護の世界に興味を持ってほしい

――COVID-19の感染対策として、医療現場で特に気を付けるべきポイントは何でしょうか。

COVID-19だからといって何も目新しいことはなく、手袋+マスクという標準予防策、そしてアルコール消毒による手指衛生と環境衛生、これらを正しい方法で徹底すれば、そう恐れることはありません。クラスターが発生しているところをみると、人手不足や個人個人で知識や手技がバラバラだったり、ウイルスが持ち込まれたら広がりそうな条件があるところが多くありました。手袋の着用方法一つにしても、人によってばらばらだったりして。

写真はイメージです。

日本でのCOVID-19の初感染例のことを思い出してみましょう。その患者さんは武漢渡航歴があり、発熱。「インフルエンザかな?」と思ってクリニックを受診したのですが、インフルエンザは陰性で自宅に帰されました。症状が改善しないので病院を受診し、肺炎像が確認されたため入院。結局、COVID-19の確定診断が下されました。

この患者さんを受け入れたクリニックや病院の人たちは、確定診断まではCOVID-19だと思って特別な警戒をしていたわけではない。でも、ここからCOVID-19の感染が広がるようなことはなかったわけです。ただ、インフルエンザのシーズンだということで、それなりに感染予防の意識は高まっていたはずです。「熱がある方は先に申し出てください」とか、「お見舞いはご遠慮ください」とか、そういう対策もしていたでしょう。呼吸器系の感染症かもしれない、と思ったらやる対策を続けていれば、結果的に同じように広がる他の感染症の対策にもなる、ということがわかります。

――最後に、看護学生に向けてメッセージをお願いします。

今回は私がやってきたことをお話ししましたが、今は自身が活躍するというよりも、後に続いてくれる人を育てたいという思いのほうが強くなりつつあります。私は東京都港区の感染症専門アドバイザーを務めていますが、他の自治体から「うちでも堀さんのようなアドバイザーを置きたいのだけれど、誰かいい人いませんか」という相談を受けるようになっており、後進の育成は急務だと思っています。

本来、私は積極的にメディアに出たいとは思っていないし、強いメッセージを発信すれば批判にさらされることもあるけれど、後に続いてくれる人たちのためになればと思って、なるべく断らないようにしています。「さまざまな分野で看護職が感染症対策に貢献していることを知ってもらえたら」そのことを伝えたいと考えています。COVID-19の一件からも分かるように、感染対策はとても多くの人々の健康や生命を左右するものです。看護学生の皆さんにも、ぜひこの領域へ興味をもってもらい、できれば将来、こちらに飛び込んできてください。

プロフィール

堀 成美さん

堀 成美(ほり なるみ)

  • 東京都看護協会危機管理室 アドバイザー
  • 東京都港区 感染症専門アドバイザー
  • 国立国際医療研究センター国際診療部 客員研究員
  • 国立感染症研究所感染症疫学センター 協力研究員

1968年、神奈川県横須賀市生まれ。神奈川大学法学部法律学科(給費生)卒業後、タイ留学を経て、東京女子医科大学看護短期大学(現・看護学部)入学。卒業後、がん・感染症センター東京都立駒込病院感染症科でエイズをはじめとする性感染症のケアに携わる。同時に、地域における感染症予防を含めた「性の健康」教育を開始し、東京学芸大学大学院修士・博士課程で教育領域のアプローチを探求。2009年、国立感染症研究所FETP(実地疫学専門家養成コース)修了。同年、聖路加看護大学(現・聖路加国際大学)看護教育学/感染症看護 助教就任。2013年、国立国際医療研究センター国際感染症センター 感染症対策専門職就任。著書(監修)に『今日からできる!暮らしの感染対策バイブル』(主婦の友社、2020年)がある。