わたしが選んだ道〜現役ナースリアルキャリア報告〜

vol.06
新天地、新聞社での挑戦

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看護師 / 4年目 山田香澄さん(仮名)の例

先輩の例から看護師のキャリアを考えてみよう!
今回は看護師から新聞記者に転職を果たした山田さんのケースを紹介します。

現在の状況

3年間の看護師生活を経て、今年4月から新聞記者に転身しました。現在人口約20万人の地方都市の支社で、報道記者として働いています。もっと臨床経験を積みたいという思いもありましたが、新卒採用がほとんどという一般企業の採用状況の中、社会人枠があっても入社時の年齢に制限を設けている現実。「今しかチャレンジできない!」このタイムリミットが転職を後押ししてくれたのかもしれません。

大学を卒業してから3年間、東京の病院で勤務しました。脳神経外科と眼科を中心に、さまざまな診療科が混在する急性期病棟に所属し、救急搬送の受け入れ数が多かったこともあって、毎日のように緊急入院や退院に追われていたように思います。

年齢制限のタイムリミット

新聞記者への転職を考えたきっかけ

そんな中、転職を考えたのは1年目の秋。テレビや新聞で毎日のように「たらい回し」や「医療崩壊」が声高に叫ばれるようになった頃です。それらの報道に接する度に、また、それを見聞きした患者さんと話す度に「医療者が考える医療」と「患者さん=市民が考える医療」に溝があるのでは、と感じるようになりました。その原因は医療者が正しく情報を発信していないからなのか、それとも発信した情報が正しく伝えられていないからなのか、それを確かめたい。そして、その溝を埋めていくために必要なことを考え、医療者として看護・医療報道のあり方を見つめ直したい、という思いから転職を決めました。

しかし、就職活動は困難の連続でした。「一般企業への就活」は「看護師の就活」とまったく段取りが違い、面接やグループディスカッション、筆記・実技試験など何度も何度も選考が続きます。面接が終わったと思ったらその日の夜に試験通過の連絡が来て、「じゃあ明日10時に筆記試験に来てね」ということもしばしば。夜勤明けでふらふらになりながら筆記試験を受けに行ったりと、体力的にも精神的にも厳しい半年間でした。看護師長や病棟スタッフには「勤務には迷惑を掛けない」という約束で就活を始めましたが、看護師長をはじめ同僚の理解や支援がなければ決してなし得なかったと思います。

看護師から新聞記者に!

今後の目標は医療・看護の取材に携わること

記者として取材と締め切りに追われる毎日も、病棟勤務の忙しさを経験しているので乗り越えられますね。現在は文化・芸術の紙面を担当していますが、今後の目標はやはり医療・看護の取材に携わること。看護師の仕事を、看護の受け手である一般の市民にわかりやすい言葉で伝えていくことができれば、と考えています。

たとえば「清拭」という一見単純な看護にも、看護師の所作一つひとつに配慮やエビデンスに基づいた高い技術が複雑に絡み合っています。素晴らしい看護を実践されている看護師の活き活きとした姿を伝えていきたいというのが一番の目標です。

また、臨床の看護師や看護学生に向けて、マスメディアへ発信することの重要性やその具体的な方法などを伝えていければと思っています。
正直なところ、報道のあり方に関心を持つようになるまで、私は新聞をほとんど読んでいませんでした。しかし、「看護や医療がどのように一般の人へ伝えられているのか」を専門職の視点でチェックしていくことは非常に重要だと感じています。これから看護師を目指すみなさん、ぜひ新聞に目を通してみてくださいね。

こっそり今だから言える話

「看護師」という経歴からか、面接の時には必ずと言っていいほど質問されるのが「目の前で大事故が起きたら、記者としてカメラを回せるのか。それとも看護師として救助に当たるのか」。そのたびに「記者としての仕事を選んだのなら、迷わずカメラを回します」と就活本のような回答を繰り返していました。今から考えると、そんな見え透いた上辺だけの答えは面接官にも伝わっていただろうなぁと思います。

1年間の記者生活を経て思うのは「記者である前に人であれ」。倒れている人がいたら手を貸すというごく普通の感覚をなくしてしまっては、読者に寄り添う記事は書けなくなってしまうだろうと常に心に留めています。だから、いつでも救命処置に対応できるよう、ことあるごとに頭の中でBLSのシミュレーションを繰り返しています!

山田さんのキャリアからわかること

ここ数年、医療機関以外に活躍の場を求める看護師の姿が目立つようになってきています。山田さんもその1人。体力がないと勤まらないといわれる新聞記者の仕事ですが、山田さんいわく「新卒で病院で働いていた時の方がよっぽど大変でした」。やはり看護師はたくましい!

最近は多くのメディアにあふれんばかりの医療情報が報道されていますが、その中でも新聞の「医療面」に掲載される医療情報は信頼度が高く、多くの市民が参考にしています。医師と患者さん両者の橋渡しの役割を担う看護師が新聞記者になったことで、より患者さんの立場に立った紙面作りができるのではないでしょうか。先駆けとして奔走する彼女の頑張りが、今後「看護師の発信」「看護の可視化」の実現につながっていくはずです。

インタビュアー

高山真由子(看護師・保健師・看護ジャーナリスト)

看護短大・大学編入学を経て、早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了(ジャーナリズム修士)。病院、在宅、行政・学校・産業保健、教育機関、イベント救護など、幅広い臨床経験を持つ。並行して看護ライターとしての活動も広げ、ダンス留学、自転車ロードレース選手生活も経験。現在は医療系web編集者として、メディアの立場から看護の発展にたずさわる1児の母。

高山真由子(看護師・保健師・看護ジャーナリスト)

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